生きてる機械

プラネタリウムは偽装星

小説のように

 

私はここにいたことがあった。

葉のない枝を照らす橙色の光。灰色の空の下、それらが妙に明るく希望的に見えた。

出来すぎた景色というものを見るのは初めてではない。

だが、これはこれで、うっすらと感動を覚えるものがあった。

時間が経てば、この光が消えることも知っている。

しかし私にはこの光景が永遠であるかのように思えた。消えることはわかっているのと永続性は、頭の中で何の矛盾もなく同居していた。

不意に思い出した。

そう、私は、ここにいたことがあったのだ。

高校、いや、おそらく大学時代。私はこの光景を見ていた。今と同じ、この窓枠から。

当たり前だ。ここは幼少期から自室なのだから。

しかし私は忘れていた。大学時代の自分がここにいたことを。ここにいて、同じ景色を見ながら、小説を書いていたことを。

当時手元にあったのはiPadではなく、原稿用紙だったのだが。