薄暮と記憶と映画のような。
また薄明の時間に文章を書く。最近どうも忘れがちになっていていけなかったのだが、薄明を見ると、ア、記事を書かなくては、と思ったのだから、不思議なものだ。
言葉というものを取り戻そうと決めて、少しだった。本当は随分前から思ってはいたのだが、本格的にそう決意したのはここ最近だ。
とても美しい表現をする人に出会えたことが最後の一押しになったように思う。
あと、少女病を読んだこともおそらく影響している。文字で描かれた登場人物を、あれほどしんから可憐だと思ったのは初めてかもしれない。(忘れているだけの可能性も高いが)
昔祖父にもらったオルゴールのことをふいに思い出した。
木製のスイスオルゴール。オルゴール館に連れられた時に贈られたのだが、私はあれ以降、すっかりオルゴール館というものを心地よく感じるようになってしまった。
と言っても、そう頻繁に訪れているわけではなく、記憶の限りでは、これまでの人生で私が望む通りの、いわゆる本格的なオルゴール館を訪れたことがあったのは実は二度だけなのだが。
二度目は、友人にバイクで連れられて行ったオルゴール館であった。
しんとした館内にオルゴールの音、秒針の音、時折聞こえるくぐもった足音だけが響いていて、とても居心地が良かった。ずっと居られるのではないかと思うほどだった。それは単にオルゴールそのものの魅力のみではなく、あの館内の静謐さ、いわゆる雰囲気と、あの館が存在する場所のせいであったのだと思う。山のすぐそばにあり、近隣には喫茶店や売店のようなものがあったように思う。人気がありながらも静かで、緑の多い、良い場所だった。
また行きたいな。そう思う。
窓が暗くなってきた。
薄闇に包まれ始めている。風があるようで、木々が穏やかに揺れている。
ピアノの音がその風景をより一層、静かな映画のような雰囲気に仕立て上げている。
近所にはピアノを弾く子が住んでいるのだ。非常によく練習しているようで、毎日美しい音色、時折辿々しくも甘くあたたかく響く音が聴こえてくる。
私はとても恵まれている。
(余談だけれども、雨の日が一等楽しみだ。曇り空と水蒸気、それらとピアノの音はとてもよく合う)